桜が満開を迎えた京都では、あちこちから桜の便りを聞くことが出来ました。今年は例年より遅かったせいか桜の花びらのピンク色が昨年より濃く感じられるのは、私だけでしょうか。
そこで今日はお花見の始まりについて調べてみました。
花見の起源は諸説があります。奈良時代には貴族が梅を好み、花鑑賞をしていたようです。現代では花見と言えば桜、しかしながら当時は中国から伝来した梅の花が主流でした。これは、桜は神の宿る木として信仰の対象となっていたからと言われています。
平安時代には、貴族が桜を見ながら歌を詠んだり、蹴鞠をしていた記録があります。一方農民にとっては春の到来は田畑を育てる始まりの季節。厄を祓う宗教的意味とともに花が愛でられていたのです。五穀豊穣を願って桜の下で「野遊び」や「山遊び」がおこなわれていたのかも知れません。
鎌倉・室町時代に入ると武士階級に花見の風習が広がり、京都では山や寺社などにも桜が植えられたのもこの頃であるといわれています。
安土桃山時代には豊臣秀吉が桜の名所として知られた奈良の吉野山や京都の醍醐寺で盛大な花見を催しました。「醍醐の花見」や「吉野の花見」は有名です。
庶民がお花見を本格的に楽しむようになったのは江戸時代の寛文年間のころからです。
八代将軍徳川吉宗(1684~1751年)の治政当時、江戸の桜の名所といえば上野の寛永寺でしたが、格式の高い寺だったので庶民は思うように花見を楽しめませんでした。そこで八代将軍吉宗が、飛鳥山や隅田川堤、小金井堤などに数千本の桜を植えて庶民のお花見を奨励。このころから庶民は咲き誇る桜を見に繰り出し、桜の下でお弁当を食べながらお花見を楽しみました。
江戸時代の人々の春の楽しみとして繰り広げられた花見は、今現在も続き未来にも広がっていくことでしょう。
桜の美しさと散り際の潔さに魅せられながら。
「世の中に たえてさくらの なかりせば 春の心は のどけからまし」(在原業平)の
返歌として
「散ればこそ いとど桜は めでたけれ 憂き世になにか 久しかるべき」(詠み人知らず)
が物語っているように。 (Photo By Kemeko)